子どもたちの未来のために

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「子ども達を見つめて…。」

 私が指導者になり四半世紀が経つ。
 その長い年月の中で特に感じることは子供たちの体力・思考力の低下である。
外遊びや集団遊びでは成功や失敗、喜びや悔しさを得て、精神・創造性・判断力・
社会性の素地が育てられ、自然に心も身体も鍛えられてきたものだ。
【心身ともに調和的な発達】そういった遊びが減り、リセットして何度も繰り返すことが出来たり、悔しさや痛みを感じる事のないテレビやゲーム遊びが増えている。
私の少年時代は兄弟も多く縦の繋がりもある大家族では日常的に競争や強調が必要とされ、親の責任や子供に対する要求も多く求められていたのに、少子化や核家族化により保護者が過保護になったり、逆に放任になったりして、【しつけの低下】も感じる。他人の子供に無関心な大人たちも増え、注意したり叱ったりすることも少なくなった。学校でも規律やモラルに注意をして指導する場が減り、子供に厳しく接することも難しい社会になった様に感じる。現代の子供たちに何を伝えていけばよいか考える日々である。

 私の趣味は言わずとしれた「スポーツ」。今日までの人生の中では自分の身を持って体験・経験し得たことが数多くある。困難に立ち向かう強さ、他人を思いやる気持ち、悔しさから得る思考力、達成することの喜び、並べればきりがない。しかし、「楽しい」と思う気持ちが最優先に存在しなければ長続きはしない。楽しいからこそ続けられるスポーツの中で、心や身体を自然に鍛え、【創造力】【判断力】【理解力】【社会性の素地形成】を育み、世の中で通用する人間形成に着目し指導を追求していきたいと思う今日である。

 40歳も後半に入り、肉体の衰えからくるへたばりの多い毎日だが今でも子供たちの前に立っていられるのは、日々見せてくれる子供たちの輝く瞳と溢れんばかりの笑顔のおかげ。そして、幼稚園、保育園の門をくぐる度に聞こえてくる○○○先生!!という甲高い声にここまで支えられてきた。今まで仕事に携わっていて思うことは、人間形成の源になるものは自分もそして他人も含めた《人の愛》だということだ。教育や仕事に対する【情熱】や【誠意】から、人との関わりの中で発生する【説得】・【理解】などというコミュニケーションに要するエネルギーに至るまで、すべて【愛】という言葉で表現してもよいのではないか?と思う。
 
 合理主義・金銭至上主義型社会・学歴優先社会に変貌してしまった昨今の人間社会では、この人間の営みに損や得、○か×等の結果や代償を巡らせてしまう。とても残念なことでもあるが、憎しみ合い・嫉妬・裏切り・争いなどは、すべてここに起因する。しかし、そんな大人の社会でも、人は真の情熱・真心をもって接してゆけば、その心が通じることも決して少なくない。人間らしい・・・とはこんなことだと私は思うのだが、やはり人はそれに疲れ始めているのだろうか。裏切ることを決してしないペットたちに、それを求め始めているのかもしれない。

 私が今日この仕事を続けていられるもう一つの理由は、子供たちは決して裏切ることをしないし、裏切ることを知らないということだ。注いだ情熱や真心の分以上に【成長】【喜び】という形で返してくれる。これ程、人の【愛】に素直な生き物は無いのだ。
 これからもそれを忘れず、教えることの尊さに恥じることなく頑張ってゆこうと思う。

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